ホーム幸せ経済社会研究所人類7万年の歴史から考える、幸せな生き方とは?「サピエンス全史」読書会レポート

幸せ経済社会研究所

人類7万年の歴史から考える、幸せな生き方とは?「サピエンス全史」読書会レポート

人類7万年の歴史から考える、幸せな生き方とは?「サピエンス全史」読書会レポート

2017年8月、第69回目となる読書会の課題書籍は『サピエンス全史(上・下)文明の構造と人類の幸福』。

上下合計600ページという大作の本書は、原書が2015年に発売されるやいなや世界中の主要メディアから称賛され、著名な歴史家や経済学者、オバマ前米大統領やビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグらも愛読したと話題になりました。

ページ数は多くとも、わかりやすい例えが豊富で読みやすく、人類の歴史を俯瞰した本書は、「歴史や人類学にはあまり興味がなかった」と笑う枝廣先生も「この本が面白かったので、これをきっかけに興味を持ち始めた」と言う1冊。

読書会では、「幸福を測る」ことが掘り下げられている下巻の第19章を中心に、枝廣先生の解説と参加者同士のディスカッションが行われ、章タイトル通り、「文明は人間を幸福にしたのか」を問う時間になりました。

これまで歴史の研究は主に歴史学者によってなされ、私たちはそのおかげで、いつ人類が農耕を始めたのか、または、貨幣はいつどうやって誕生したのかという史実を学ぶことができています。ですが、それぞれの出来事によって本当に先人たちが幸せだったのかどうか?といった視点はこれまでほとんど語られてきませんでした。

例えばフランス革命によってどれほど多くのフランス人が幸福度をあげたのでしょうか。その正解を知る術はありませんが、このように「その出来事の結果、いかに人が幸せになったか否か」を計測することがほとんどされてこなかったのは不思議でもあります。もしも誰も幸せになれないのであれば、何のための革命だったのか、ということになるからです。

もちろんフランス革命だけではありません。先の大戦にしかり、今こうしているうちにも進んでいる各国の政治も同様です。”何をもって幸せとするのか”を明文化することなく、それなのに”きっとこの選択が人々の幸せに繋がるはず”という何らかの「仮定」を前提として執り行われている。これ、よくよく考えてみればちょっと首を傾げたくなる話ですよね。

本書の著者であるハラリ氏は、人類にとって幸せとは何なのか、それは本当に追求するべきことなのか、と読者に投げかけます。さらに、個人や地域、国といった枠を取り除き、人類、さらには人類以外をも含めた「地球全体の幸福」とは一体何だろうかと問いかけています。読書会の参加者でも少しの時間をとってディスカッションを行いました。

ひとが良い状態で在ること、生きることを意味する「well-being(ウェルビーイング)」という言葉は(翻訳家でもある枝廣先生はこの単語に最適な訳語はないとおっしゃいますが)心身が健やかである「厚生」の意味として使われます。

一般的に厚生を計測するためには、短長期的な要素を組み合わせた質問シートを用いて統計的に計測しますが、ハラリ氏はこの計測を否定します。

幸福になるために重要なことは、どれほどの財産を持ち、身体が健康で、どんなコミュニティに属しているのか、などといった要素は重要ではなく、幸せは「客観的条件と主観的期待との相関関係によって決まるもの」だと定義しているのです。

例えば貧しい人が1万円を期待し実際に1万円を手に入れたら幸せですが、大富豪にとっては1万円への期待がそもそも小さいぶん、あまり幸せだとは感じにくいもの。それが期待と条件の相関関係。しかし期待が満たされ幸福に感じるのは刹那的なこと。やがてはその幸福度も下がってしまい、他の何かをもっと期待し始めて…というループが永遠に続いてしまうのです。

本書では社会学だけでなく、生物学者による幸福の考察も解説。なんと、生物学上の分析において幸せとは、精神的もしくは感情的な”生化学の仕組み”に過ぎないというのです。

つまり、どれほど宝くじで当選しようとも、新車を購入しようとも、そのときの幸福は体の中で起きる神経やセロトニン、ドーパミンなどが電気信号を発しているただの生化学反応でしかないという考え方です。面白いですね。では体が感じる快感の状態が幸せと等しいものだとしたら、歴史上の出来事から学ぶものは何だと言えるのでしょうか。

そんな生物学上の幸福論に異議を唱えているのは、心理学者で幸福を研究するダニエル・カーネマン博士。同博士は、人は快適ではない瞬間(例えば生まれて間もない赤ちゃんの育児のために寝不足で疲労困憊など)であったとしても幸せを感じる人はいるものだ、と強く伝えてくれています。瞬間的な幸せではなく、自分が存在する意義が感じられ、自分の人生が有意義であると認知することこそが重要だ、と。

確かに、生物学上の見地だけを取り、セロトニンなどの生化学信号だけが幸せなのであれば、セロトニンを注射するだけで全人類だれもが幸せになることになってしまいますもんね。

生物学上の視点と、認知的な視点、さらには「第3の視点」と言えるのは、宗教や哲学、特に幸福の本質を体系的に研究し続けている「仏教」の教えでした。すべての感情は一時的なものであり、追求しても決して満足することはなく、感情ごと手放すことによって初めて本当の幸せが理解できると説く仏教。“イマココ”という瞑想の実践が現代の経済界や文化人層を中心に話題になって久しいですが、外的要因でもなく、内なる感情からも離れ、自らの本当の姿を感じることこそが幸せにつながるのですね。

幸せとは何か、
自分の使命とは何か、
そして生きる意味とは。
今回の読書会は、すごく本質的な視点を分かち合う時間となりました。

幸せ研の読書会は、課題図書を買っていなくても、読んでいなくても発見のあるイベントです。ぜひご参加ください。ご案内はこちらの幸せ経済社会研究所のページから!

(POZIインターンライター やなぎさわまどか)