富士山が世界遺産に登録されたことや、自然志向が高まっていることなどから、山登りがブームになっていますね。一方で、火山活動が活発になっていたり、温暖化による気候変動の影響が出てきていたりと、山登りでの危険が高まっています。
そんな中、富士山登山者の安全を守るために有志で立ち上がったのが「富士山チャレンジ」というプロジェクトです。
きっかけは、2014年に突然噴火した御嶽山の災害でした。誰が何人登山しているのか要救助者の情報収集が非常に難航。登山届も提出率は低く浸透していないため、誰がどこに登ったのか、そしてどこにいるのかの把握ができないことで、救助が難しくなるだけでなく、登山者の家族は不安を抱えていました。
登山者本人の安全を守り、登山者の家族や知り合いの不安をなくしたい。そんな思い出立ち上がったのが「富士山チャレンジ」プロジェクトなのです。
山で亡くなる人を減らすために、何ができるか。
富士山チャレンジは、Bluetoothを使った小型発信機「ビーコン」を活用した仕組みです。まず、ビーコンを検知する受信端末(スマホ)を山小屋などに設置。登山者にビーコンを身につけてもらうことで、受信端末が通過情報として位置情報を取得できるようにする仕組みです。富士山チャレンジプロジェクトは、この仕組みの制度を高め、多くの登山者に広めていくことをめざしています。
このプロジェクトを立ち上げ、現在も中心として活動しているのが木村知さん。木村さんは東急エージェンシーに勤務をしながら、仕事はもちろん、プライベートでもいくつかのプロジェクトを立ち上げ活動しています。
木村さんは数年間、東京から静岡県の静岡市に移住していました。富士山プロジェクトを立ち上げたのは静岡で生活している頃。なにか地元に貢献できることがしたいと考えていたときに、御嶽山の噴火事故が起きたことがきっかけでした。
御嶽山の噴火があったとき、何人が登っていて、何人が火山灰に埋まっているかなどが分かっていれば、救助はもっとうまくいったんじゃないかという思いがありました。地元での飲みのときに、山で亡くなる人を減らすために何ができるだろうかと話になって、田中さん(防災コンサルタント)とで立ち上げたのがプロジェクトのはじまりです。
必要に応じて声をかける。「好き」で人が集まる。
飲み話からはじまったプロジェクトは、いまや3年目。1年目はメンバー5人で登山者103人を対象に、2年目は17の企業や団体をメンバーとして登山者553人を対象に、そして3年目は30を超える企業や団体といっしょに、登山者3000人にビーコンを配布して実証実験することをめざすまでに。
プロジェクトを着実にステップアップさせるために、どんな工夫があったのでしょうか。
二人だけではしくみはつくれないので、必要なことが浮かぶたびに、「あの人を誘おう」という形で声をかけていきました。プロジェクトといっても、結局は人と人とのつながりですよね。みんな好きで集まっています。お花見しようぜ、みたいなノリで集まって、富士山のた
めに何とかしたいと知恵を出し合ってるんです。年に一度の夏山シーズンに実施するので、ひと夏のイベント的な感じでモチベーションを維持しやすいということもあると思います。
何も特別なことをしたのではなく、ひたすらヴィジョンを語り、必要に応じて人を口説いていった、ということですね。富士山という、国民的な人気者にまつわる問題解決ということもあるかと思いますが、そこにはオンオフの区別なく人と交わり、人とともに何かをつくり出してきた木村さんの、人を信じる気持ちにあるのかもしれません。
変わらない原点。変わっていく仕事。
初年度は富士宮口ルートだけではじまった富士山チャレンジの3年目は、富士宮口、御殿場口、須走口、吉田口の全4ルートで、3000人の登山者を対象に。さらに通過情報以外のビッグデータを活用したサービスや、登山道の3D計測など、スケールアップだけではなく、内容もより充実したチャレンジになります。プロジェクトそのものは大きな変化を遂げていますが、立ち上げから携わっている木村さん自身には、どんな変化があったのでしょうか。
はじめたときと比べると、仲間や知り合いがぐっと増えましたね。でも、自分自身が圧倒的に成長したかというと、そうは思いません。本当に、まわりの人に助けられていますね。いま行政の方も交えてガッツリ街づくりの仕事に取り組んでいるので、これまでよりも行政の方の考えを知った上で取り組めるようになったというところはありますが。
ここで「仕事」という言葉がでてきました。広告会社の仕事は多岐にわたるのですが、木村さんは自分の仕事の領域を、じぶんで切り拓くように働いてきました。
もともとはデジタル系のプランナーだった木村さんが街づくりと接点をもつようになったのは、渋谷Qフロントの巨大ビジョンを使った「渋谷デジタル花火大会」でした。スマホというパーソナルなデジタルツールと、街をつなぎ、賑わいをもたらすという企画は、プリクラで撮った写真が30分後にQフロントに映されるという「写パーン」へとつながりました。いずれも、スクランブル交差点を見に来てすぐに去ってしまう観光客を渋谷に留め、お買い物や食事をしてもらうために編み出されたアイデアでした。
そうした実績をつくってからは、デジタルから離れてより街のにぎわいをつくる仕事をする部署で仕事をされています。マスメディアを使った宣伝やイベントなどのプロモーションを企画する印象が強い広告代理店では珍しい仕事の仕方だと思いますが、木村さんの中では、これまでやってきた仕事と向き合う姿勢は変わらないそうです。
広告会社って、結局はコミュニケーションの会社でしょう。商品や企業のいいところをお金をいただいて、よりよく伝えていくという。扱うものが街に変わっただけという感じですね。街のいい人、街のいいところを伝え、つないでいく。クライアントを愛するように、街を愛して、よくしていきたいという思いで仕事をしています。マス広告よりもステイクホルダーが多くて難しいところもありますが、やりがいがあって面白いですね。
夢の実現に必要なのは、さらなる仲間。
少し本題からずれましたが、話を富士山チャレンジに戻しましょう。きむらさんが富士山チャレンジで抱く夢は、まだまだはじまったばかり。目標は、東京オリンピックが開かれる2020年のタイミングで、富士山に登るすべての人にビーコンを活用した安全、安心の仕組みを届けること。社会に実装されること。もっと先の夢としては、富士山にとどまらず、他の山や国立公園、そして世界にも広げていきたいと。その大きな夢のために、どんな願いでも叶うとしたら何を望むか聞いてみました。
欲を言えばきりがないですね。たくさんありすぎます。仲間がほしい。知識がほしい。知恵がほしい。山小屋だけでなく、もっとたくさんレシーバーを置ける場所がほしい。機会がほしい。信頼と実績がほしい…。ぜんぶお金があれば解決するのかもしれませんが、お金だけに頼ると持続しないような気もします。目的が共有できて、専門的なスキルがあれば、お願いできることはいっぱいあると思うんです。たとえば料理ができるというなら、スタッフに料理をふるまってくれる、とかでもいいですよ。
なるほど、いわゆるプロボノですね。企業の方に期待することは何でしょうか。
登山者の安全という公共的な目的でやっているプロジェクトなので、同業でも枠組みに参加することができます。たとえば通信会社でいうと、4社の方に入っていただいています。実証実験に参加し、そこで得たものをそれぞれの企業の方がビジネスに応用していただければと思っています。
富士山プロジェクトは東急エージェンシーを中心として進められていますが、企業でも個人でも、ビジョンを共有できればどんどん参加できます。POZIもコミュニケーションの力で協力できることがあればということで、まずはウェブサイトでインタビュー記事を掲載しています。分野や立場を超えてさまざまな企業や人が集まるワクワクがいっぱいの富士山プロジェクトに、あなたも参加してみませんか。関心がある、ピンときたという方はぜひ、富士山チャレンジのフェイスブックページをのぞいてみてくださいね。