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人類は、いつまで経済に踊らされ続けるのか。「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」読書会レポート

夏休みを取る方が多い8月ということで、分厚い大著「経済と人類の1万年史から、21世紀世界を考える」が課題となりました。本書は、農業の誕生から今にいたるまで、そしてこれからの経済を展望するという壮大な内容です。

農業を行うようになって定住が可能になり、余剰が生まれることで経済の規模が拡大。こうした経済の発展や社会の安定はある程度のところまで行くと人口の増大につながり、やがて窮乏を招くというケースが、これまで世界のあちこちで見られました。むしろ戦争が起こることで人口が減り、生き残った人が豊かな暮らしができるようになることも。平和が戦争につながるという矛盾がこれまでの人類の歴史の中で見られました。一方で、豊かさが失われることで社会が不安定になり、戦争につながる惨事をもたらすこともあります。平和を維持するのは人類にとってとても難しいことなのですね。

経済の発展に欠かせないのが、生産技術。シューマッハの「仏教経済学」の考え方によれば、機械化には二つの種類があるとのこと。第一は、人間の技能と能力を高める機械化。そして第二は、人間の仕事を機械という奴隷に引き渡、人間をその奴隷への奉仕者にしてしまう機械化。コンピューターなどの機械が発達することで一人ひとりにできることは増えましたが、それで私たちは幸せになっているのでしょうか。むしろ、機械が発達することで労働需要が減ることで仕事が減り、賃金が減るだけでなく、機械のスペックとともに早くなる経済のスピードに翻弄されているような気がしてなりません。シューマッハの唱える「第一の機械化」は、コンピューターがあちこちに埋め込まれるようになって、遠い過去のものになろうとしています。機械と人との付き合い方を、いまこそ真剣に考える必要があるのではないでしょうか。

経済が私たちの暮らしに大きな影響を与えるのは福祉面です。経済の発展は福祉を充実させることになり、いざというときの支えが、家族から公共セクターに移っていくことになりました。そのせいで家族のつながりも希薄になっていっったのですが、経済が曲がり角に差し掛かった今、公共セクターだけでは福祉をまかなうのが難しくなりつつあります。家族のつながりも希薄になり、公共セクターによる福祉も縮小されるつつある今、私たちはコミュニティを通じた拡大家族で助け合うか、自力で生き延びるたくましさを身につけるかという選択を迫られるようになっています。

経済とともに人類の歴史を眺めていると、その道のりは平坦ではないものの、私たちは少しずつ問題を解決しながら前進しているように思えます。本書の著書、ダニエル・コーエン氏の近著のテーマは「経済は、人類を幸せにできるか」。リーマンショックに代表される経済の行き詰まりが社会不安をもたらしている今、経済発展によらない文明のあり方について、これまでにない発想で考えていく必要がありあそうですね。

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