第89回読書会の課題図書は、社会学者の橋爪大三郎さんと哲学者の竹田青嗣さんの共著『低炭素革命と地球の未来―環境、資源、そして格差の問題に立ち向かう哲学と行動』でした。
お二人は枝廣淳子先生が教授を務める大学院大学『至善館』で教鞭をとられている先生方です。専門分野が違うお二人ですが、人間社会の未来についての認識は一致しているとのこと。その見解は、このようなもの。
「環境、資源、そして格差の問題はいまやはっきりと地球的な限界の場面にぶつかっており、国際的な規模でルール調整を行わない限り、人間社会の未来はない。この問題を解決するためには人間社会についての新しい考え方が必要だ。この危機は、我々にはじめて現れた人間社会の大きな希望となるかもしれない」
まさに、複雑に入り組んだ問題が山積する現代。わたしたちはつい、カリスマ的なリーダーや非連続的なイノベーションに期待してしまいますが、世の中はそうそう変わらないようです。
その理由のひとつは、理論が現実になるまでの時間的なギャップです。たとえば近代哲学において「民主主義がいい」とか「平等が大切だ」といった考え方の基本的なアイデアは15、16世紀には出始めていたものの、実現までに何百年もかかっています。理屈を考えることも大切ですが、それをどう現実の制度にしていくかが大事なのですね。
そして、社会を変えていくための原動力となるの「一般意思」。近代国家の政府は、一般の人がその問題をどう考えるのかという一般意思を代表して、はじめて支持されるようになっています。気候変動について言えば、「温暖化は大問題だ」と多くの人が思うようにならないと、解決のための動きが進まないということです。
社会を急激に変える手段として、革命があります。しかし、革命は熾烈です。既得権を持つ人たちとの闘争がつきもので、また、革命派が勝利したとしても暴力による覇権原理が残ってしまうので社会は不安定になるのです。
哲学的には、社会というものはどんなものでも、ルールの束でできているのだそうです。社会を変えるといことは、ルールの束の網目を変えるということ。既得権を一度に否定するのではなく、少しずつ変えていこうとい考え方のほうが、結果的には合理的で、効率的なのだそうです。
「哲学的には」と言われもピンときませんよね。ふだんの生活で哲学はあまりなじみのないものですから。哲学の方法を、竹田さんはこう説明します。「たくさんデータを並べてあることを説得するという方向ではなく、できるだけ考え方の『原理』だけを取り出して示す」ことだと。
哲学の立場から資本主義をひもとく時のキーワードは「普遍交換」と「普遍消費」。資本主義の儲けはまず、ある地域のものを別の地域に持っていくと売れるという「普遍交換」から生まれます。商人は儲けを生むその商品をたくさんつくるよう生産者に働きかけます。交換が活発になると、より効率的に生産をするために「分業」が発達。「普遍交換」と「普遍分業」が支えあって生産性が持続的に向上していくのです。市民社会ではこの交換と分業のサイクルの中に市民が入り込むことで、「普遍消費」の担い手としての一般民衆が生まれます。この「普遍交換―普遍分業―普遍消費」とう循環が、生産のシステムという点から見た資本主義の原理なのです。
近代ヨーロッパで市民社会(市民国家)が王権国家を駆逐して勝利していった最大の理由は、市民社会だけが普遍消費を可能にすることで資本主義清算が推し進められ、国力が圧倒的に強くなっていたから。共和制や民主制が人びとに自由を与える素晴らしい制度だったからではないのですね。
そんな資本主義の問題点はズバリ、格差。資本や生産手段を持っているものに財が集まってしまうので、富の偏在と格差が広がっていくのです。そうなると、一般の人びとが消費できなくなり、不況や恐慌に。
そして、国家間の戦争。普遍交換と普遍分業の最大化をめざす近代国家は、その延長として国家間の競争としての植民地を獲得するための戦争に。ちなみに、いま経済指標としてよく使われるGDPは、この世界戦争の時代に考えられたもの。兵器を効率的に製造するために、どこの工場で何をどれくらい作っているかを測るものがベースです。GDPを考えた経済学者であるクズネックは、GDPは戦争に勝つための尺度であり、社会の発展や幸福を測る尺度ではないと主張していました。そんな尺度がいまだに経済の指標になっているのも、現在の経済をゆがませている原因のひとつと言えるかもしれませんね。
二つの世界大戦のあと、世界各国の争いの場は経済に。その結果、一般の人びとによる普遍消費が大きく成長し、徐々に一般の人にも富が分配されるようになりました。しかし、経済を際限なく拡大する方向は、地球環境の破壊をもたらします。筆者たちは、どこかの時点で資本主義の性質を根本的に変更しなければ、必ずカタストロフィーが起こるだろうと予見しています。
格差、そして環境破壊…。資本主義は問題をはらんでいますが、単にやめればよいかというと、そうとも言えないようです。持続的な生産の増大を確保できない社会に戻ると、再び人類はピラミッド型に向かう闘争をするようになるからです。
いま求められているのは、資本主義を「改変」すること。より多くの人々が消費と自由を享受できるようにするためには、富の配分の問題を解決すること、そして、環境との両立が可能なかたちにしていかなければいけません。資源消費的な資本主義のサイクルを緩めながら、一般の人びとの普遍消費を少しずつ拡大させていく…。その原理を考えていかないといけないという問いかけで本書は終わっています。
悪化し続ける地球環境、そして新型コロナのように突然襲ってくる災い…。そんな中、人類に残されている時間もリソースも限られてきています。しかし、ここで救世主に解決策を求めたり、いまだ実現のめどが立たない技術やアイデアを夢想したりしていると、本書が述べるところのカタストロフィーが早まるばかりのような気がします。こういう状況だからこそ、知恵を絞り、常識にとらわれない発想を生み出すべく、地道な努力が欠かせないのかもしれないと思いました。
幸せ研の読書会は「幸せ」「経済」「社会」をめぐるさまざまな問題について知り、考え、意見しあう場です。仮に課題図書を持ってない・読んでいない人でも参加可能ですので、どうぞお気軽にご参加ください。ご案内はこちらの幸せ経済社会研究所のページから!
(POZIプランナー 丸原孝紀)